wardtlavelの日記

旅をするシングルマザー

何にでもできる幸せ

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人は決断すること。何かが変化することに
必ず抵抗をする。

新しい環境や新しい事をするのに。

私はよく今ね、離婚したと言ったら
なんでー?って聞かれる。


で、 簡単にまとめるとDVだったから
とか性格が合わなかったから、、とかに
なるけど。 そう伝えると

大変だったねえ。苦労したね。
離婚できて良かったね。


って絶対に言われるの!

でもね、ん~。もっともっと
私の中では深くて深くて

簡単に離婚した訳じゃないの。

簡単に嫌いになったからって
すごく性格が合わなかったから

ほんとに考え考え悩み悩み
色々あったけど やっとやっと

出来た決断の1つ。


だから 私にとって人生の中で
無駄な時間じゃなくてすごくすごく
意味のある時間となった。

今では感謝です。


そして 幸せに元気にしていることを
ただ願うばっかりです(^ω^)✌


そして 目標の為に頑張ってた。
何かを自分で出来る。そんな
小さなことでも私は幸せでした


この子と一緒に世界一周をする


不安とかそんなんよりも
早くここから逃げ出したかった。
あっという間に日々は過ぎていく☺💓


懐かしい気持ちでいっぱいになる💓

私がこの日本から逃げ出したかった思い

子供を産んだ。
里帰りもせず右も左もわからないまま
私は子育てをする。

毎日ミルクをやり
そして慣れない料理に洗濯をし
掃除をする。


ほんとにね。思っている以上に
大変だったの。


そして 夫からは仕事に出掛けるふりをし
パチンコにお金をつかわれてたり

毎日帰ってくる度に喧嘩で
私は悔しかったな~

自分の時間もなく慣れないことで
精一杯なのに 旦那からは
束縛をされ 喧嘩をすれば殴られてた。

酷いときは夜から朝まで永遠と
終わらない話をする。


疲れてるのに眠れない。


今思えば旦那も疲れてたのかも。
でも本当1か月5万円しか給料なくて

ほんとに食べるものはなにもなく
ただね、明日の事を考えて考えて
明日食べるものもわからないくらい。



そんな生活でした。



ほんとにずっとずっと嫌だった。

外に出ることも許されない
働くことも許されない

なのに向こうは働かないし遊ぶし
ギャンブルにはお金を使う。


ねえ、どうすんの?
どうやって生活すんの?


何回も何回も言った。


周りは高校生なの。

好きなように好きな服を着て
好きな友達と遊んでる。

いつもSNSをみたらね。

すごーく充実してるの。

孤独だった。羨ましいと思った。

でも僻む事はしなかった。
私にはこの子の成長を見れるから。

ほんとに毎日成長していく我が子をみて
幸せな気持ちでいっぱいで。

誰かに愚痴を聞いてほしかった
1人で沢山ないて子供にね
ごめんねって沢山言った。



もう離婚しようかなって何度も何度も思った、


そんな日々が2年。 

喧嘩で家も追い出され 引っ越しをして
窓ガラスを割られ 無駄なお金を払い
何かあれば お前は俺のお金で飯食えてるんや
お前はなにもできない。
子供なんか1人で育てれるわけないやろ
お前みたいながクズっていうんや

悔しくて悔しくて、沢山泣いた。
恨んだ。ほんとにだいっきらいだった
いっそ、このまま子供と二人で死のうかな

誰にも言えない悩み。

親にも言えないし
友達もいない。

ほんとにね、悔しくて悔しくて。。

ずっと悩み苦しんでた。



でも 私の自分がいる居場所を求めてた
気付いたらヤクルトレディに応募してた


託児所があるし 私は17才で初めてヤクルトレディをする。

働くことも許されないだから
その事で喧嘩で沢山の人を巻き込んだ
会社にも連絡されたけど

やりたいって思ったからやる。

条件も家事も子育ても仕事も
完璧にしろよって そういわれたから

じゃあするしかない。
とことんまでしてあげようと思ったの。

毎日朝から雨の日も冬も暑い日も
休まず仕事をして家に帰れば
旦那が帰ってくるまでに
必死に家事をして頑張った。

疲れたと言えば怒られるから
必死に我慢して我慢した。
たまにご飯を炊き忘れる事もあったら
それだけですごく怒られてた。

車で喧嘩をすればあのスピードを
沢山出す恐怖。

家で喧嘩をすれば物は投げるし
大きい声で叫ばれる

言葉で私を精神的などん底まで追い詰めてくる。

泣いても叫んでも誰も助けてはくれない。

ヒステリックになったし
もうこの人に支配されること
この人と人生を関わっていくこと

想像したら ほんとに辛すぎた。



何度も泣きながら子供に謝った。

でもそれでも離婚しなかったのは
この子の父親だから。
たった1人の父親だから。


喋れるようになり
パパ~と呼ぶこの子の為に
私は決意出来なかった。

毎日笑顔を作ることもなく
仕事をしているそんな時間が
私が、他人の人と関われる時間だった

嬉しかった。 こんなに
人の優しさに感謝したことはなかった。

職場の人も優しすぎて
だんだん打ち解けていけた。

誰かに言いたかった気持ちを
話していくうちに涙がこぼれ溢れてくる


頑張ってたんだね。
もう頑張らなくてもいいよ。
子供がね、幸せになるのは
まずはママが幸せにならないといけないの。

そんな言葉を言ってくれた
その、その、たった一言が
どんなにどんなに私が救われたのか。


ほんとに弱かった。
どんなに頑張っても
どんなに悔しくても
当たり前のように日々は過ぎる。


そう言われてもやっぱり出来なかった。

離婚した後の事を考えると
そう簡単にはなにもできないし
どうしたら仲良くできるのか
どうしたら喧嘩でお互い落ち着く事ができるの


そんな事ばかり考えてたけど


この子が、3才になる手前に
ケンカをしていると 投げたものが
子供に当たるスレスレだったのね。


ほんとに危なかった。
もう少しでこの子に傷を作るとこだった

私ね泣きながら叫んだの。やめてなにしてるん?

あたってたら?ねえ、どうしてたの?って

でも向こうはもっと暴れるし
もうどうしようってこれ以上むりって
誰かに助けを何回も何回も求めた。

で、この子が急に泣き出したの。
目から涙が溢れてて いつもと違うくて

どうしたの?ってごめんねって

じゃあ パパママのことぱちんしたらだめって

私のことを私の頭を撫でてくれたの。

その瞬間ね気付いた。ほんとにその瞬間ね
あー私何してるんやろって
なんでこんな事でこんな喧嘩で
この子の事を沢山傷つけてきたんだろって

この子ね、こんな小さな頭で
必死に必死に我慢させ
考えて考えて我慢して選び抜いた言葉。 

この子の為に私ね必死に我慢してたつもりでいた

自分の時間も失って
こんなにも酷い事を沢山言われて
でも自分を造って嫌いな人の時間を生きてた
毎日が来ることがしんどくて
何度も何度も離婚したいとおもった
でもこの子の為にって我慢してたの。


でも その時気付いた。
我慢してたのは、自分だけじゃなかった
結局私はね、父親がいるから子供が幸せだって
勝手に決めつけてたなって

私は気付いたら泣いてる人生だった

でも私がこんなんだったら
この子もきっと悲しいなって


そう気付くことが出来たその日。

もう絶対絶対離婚すると決めた


そしてもちろん 大喧嘩。
他人に入ってもらったし

離婚するまでに3ヶ月ずーっと
毎日毎日 帰れば包丁があったり
薬の大量の飲みかけ そして
半分に割れたiPhone。長文の長手紙

でも、もう私は心から決断したからこそ

もう一言も喋らなかった


どんなに何を言われようが
ほんとにほんとにどうでもよかった。


ただこの子といれればいいや。それだけ



ようやく離婚にも承知してくれた

もう二度と会わないそして
お金は払わない。


もうお金なんてどうでもよかった。
とりあえず関わる事をやめたかったの

そして向こうがいなくなった。
離婚届を出した。

ほんとに疲れきって疲れきって

すごくストレスだったなって。

でも離れてみてしばらくは
変な感じだったけど、
なにも言われず外に出れること

自由が少しの自由が嬉しかった。

少しずつ少しずつ笑顔を作ることができて
私は、人生は自分で決めるものだなって

ほんとうの自由を知りました。

誰の時間を生きることをしなくていい
自分を造って他の人の時間を生きなくてもいい
私はやりたいことをできるんだって。
どういわれようがどう思われようが

別にどうでもいい。

沢山泣いたけど沢山悔しかったけど
今。幸せと思うからいいやって思った。
広い視野を広げたくって
今の狭い世界で生きていくのは 
あまりにもしんどくて

その時 世界1週をしようと決断した。


この世界から飛び出してやろうと
この日本から抜け出したいと


そう決めたの。
できるって決めた。
逃げ出したかったあの日。

考えて考えて考えて沢山我慢して

考えて選んだのはそれでした。

ほんとに言葉では言い表せない。
たった約3年の結婚生活は


今ではとても意味のある時間と変わってる。

気づかされた。気付くことができました。


無駄なんかじゃなくてとっても
良かった! ありがとう。

今日1日思ったこと。


私は15才でママになり
出産したあの子が産まれた瞬間。

その日から365日24時間
あの子と向き合っていく。

と決めた。

決意しました。


あの時、おろすという選択肢もあった
そしたら何もなかったことにできる

周りと同じ風に沢山遊んで
高校に行くことだって
沢山恋することだって
時間に縛られず毎日楽しかった


そうなのかもしれない。


ほんとにね。考えて考えて考えて
ほんとにね。私はいつも直感です。
私のお腹で必死に生きてた。

正直に言えば望んで出来た子供じゃない。

産むことに沢山反対もされた。
絶対できるわけないって
沢山言われた。 

悔しかったし沢山泣いた。

だって私の身体の中で生きてるのに
この子の命を沢山の人がムダにしろと
たった1つしかない命なのに悲しかった。

適当に生きてた。

家出もした 警察もお世話になって
学校にも行かなかった

なんで 自分が本当に過ごしたいと
思う環境じゃないのに
好きじゃない場所にいかないといけないのか

ずっとそう感じてた

ただ頭ごなしに怒るだけの大人に
私はそんな大人が大嫌いでした。

寂しかった。

わかってもらいたくて
沢山悪い言葉もいった

伝わらないから悔しい。

でも、 この子がお腹に出来た瞬間から

そんなのどうでもよかった。
ただ、毎日日に日に大きくなるお腹を
私のお腹を蹴るこの子が 愛しい

この子の父親とは 沢山ケンカもしたし
周りの友達を遮られ 1人ぼっちで
孤独だったけど そんなのどうでもよかった。

沢山の悔しさとか批判。

産んで自分の道を突き通して良かった。

あの時のあの判断をしてよかったなあって
もう4歳だけど。

そう思った今日1日でした!✴